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少し前の大型台風で荒れた山で、沢筋を詰める事数時間、
沢が尽き、そこから先は尾根までの直登となった。

尾根までの距離は長く急斜面で、台風に流され、浮いた状態の
木切れや石が、踏ん張りがきかずに滑る足を痛めた。
岩が消え、木が流され、地面さえその高さや形を変えてしまっている。
天候は良かったが、山は、お遊びで登るのに適しているなどと、
決して言えない状態だった。

そんないつもと違う山が俺たちを、浅はかにも高揚させていた。
普通に考えれば、あるいは今なら
絶対に奥まで踏み込まないが、それは今回の本題ではない。

沢から抜けてすぐ、臭いには気付いていた。
沢登りが好きだった俺たちは、登山やハイキングのコースから外れた
あたりを歩くことが人より多かったが、時に出くわす、あの臭い。
山中で息絶え、土に返ろうとする大型生物が、自らの生きた証として
周囲に染み付かせようとするかのように撒き散らす、あの臭い。

空の上の誰かさんが念入りに調合した青を流したような空、
そこにあるだけで、充分に恵みと言えそうな太陽、
丹念に葉を揺らしながら、斜面をゆったりと行く風、
地面から、木々から、もしかすると岩から立ち昇る、程よい湿り気。
そうした気持ち良いはずの一切合財を、台無しにする死臭。

やがて分かった。

斜面の一角に、多くの鹿の屍骸。
30頭までは居ないだろうが、20頭以下という事はなさそうな、
そんな多くの鹿が倒れ、足を突っ張り、腹を膨らませ、微動だにしない。
鳥や熊にでも食われたのか、腹が裂けている屍骸もある。
大嵐の中、何があったのか、ともかくこいつらは、ここに追い込まれた。
不思議なのは、木や岩に挟まれて動けないまま死んでいるのは
3~4頭で、その他のはなぜここで死んだのか見当がつかない。

不自然に折れ曲がった背中、口から突き出された舌、すでに血膿で
しかない眼球、こんな場所、状況でなければ、きっと欲しくなったはずの、
見事な牡鹿の角。
流れ出た内蔵には、赤やピンクだけでなく、青っぽい色をしているのもある。
明るい空の下、奇妙に光る死の塊。
長く見ているようなものではないと分かっていながら足が止まり、息が止まり
思考が止まった。
地獄絵図と言って良いだろう。

不意に肺から空気が押し出され、まともな意識が舞い戻った。
よく見ると、動いている。
白い元気いっぱいな奴らが、ざわざわと動いている。
目や口から溢れた奴が地面にこぼれ、避けた腹から押し出された奴が
盛り上がり、波打つように動いている。
鹿の内容物が化学変化を起こし、この白い小さな生き物に変わるプロセスを
想像した。
いや、もしかすると、鹿は元々こいつで満たされていたのかもしれない。
それほどの量に見えた。

そして、蛆虫の音というのを初めて聞いた。
一種独特の湿った重い音。
炊き立ての白米にしゃもじを突き入れ、かき回しているような音だが
もっと活動的でエネルギーに満ちた音。

吐き気を感じたが、自分の口から大量の蛆虫が吐き出されるのを想像した。
喉を、口を、内側から逆流する蛆虫の感触までリアルに感じた。

その沢に行ったのは、それが最後だった。