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住所録は縦に五十音順に記載されます。
山賀君は一番最後でした。
クラスに「吉川」や「渡邊」などの姓は無かったのです。

だから印刷が途切れたかした要は落丁というただそれだけの理由だったのかも知れません。
でも彼の家を知っている級友はいませんでした。
それは確かでした。
「山賀君てどこに住んでるの?」
何度か女の子たちが訊いた事があります。
でも彼は教えてくれません。
「あまり自慢出来る家じゃないからね」
彼は男子ともあまり話すほうではありませんでした。
私たちの中学は三つの小学校からあがります。
卒業アルバムも三校とも友達から見せてもらう機会がありました。
どの小学校にも山賀君の姿はありません。
事実「同じ小学校に通ってたよ」という話も耳にしませんでした。
山賀君の過去を知る人が学校に一人もいなかったのです。
 
三年生の二学期に秋の体育祭がありました。
これが中学校の三年間でクラスの皆が力を合わせる最後の行事でした。
私たちの中学はクラス毎のカラーが決められており基本的にその色のマスコットを製作します。
クラスカラーのブラックにちなんでミッキーマウスの高さ何メートルもある大作をウチらは計画しました。
この時も山賀君が一人で設計図を引き資材の調達から実際の組み立てまでこなしてくれました。
完成したミッキーは高さ四メートル超の素晴らしい見栄えを誇りまるでディズニーランドに置かれる本物でした。

体育祭が終わり教室で打ち上げをしました。
オレンジジュースのビンが配られ乾杯です。
真っ暗になるまで皆で騒ぎました。
この日が私にとって二十年以上生きてきて一番の青春だったかも知れません。
打ち上げも終わりポツポツと人が帰り出す中グループの友達が言いました。
「ね。山賀君のあとつけてみない?」

もしも気が付かれたら彼の脚に追いつける女の子はいません。
だから慎重に距離をとって尾けました。
生徒の殆どは南門と東門から帰ります。
町へ通じるみちだからです。
西門は山の方へ向かうみちになっていて帰る生徒は普通いません。
暗い山道を奥へ奥へと入っていく後ろ姿に私たちは好奇心よりも次第に怖さのほうを覚えました。
「どうする? 引き返そうか」
「いやもう少しだけ行ってみよう」
十五分ほど歩いたでしょうか。
場所がひらけて十軒ばかりの集落が見えてきました。
どの家もちょっとひいてしまうくらい粗末なものでした。
すっかり日も落ち家々には明かりが灯っていました。
「山賀君こんな所に住んでたんだ… 」
そう言えば山の集落から通って来ている生徒がいると聞いた事があります。
住所もなぜか目にした憶えがあるのですけど何処で見たのか思い出せませんでした。
でも山賀君は集落も通り過ぎ更に奥へと進んでいったのです。

集落の奥には竹林がありました。
竹の覆い被さる真っ暗な一本道を山賀君は進んでいきます。
もう入っちゃいけないトンネルのように私たちは思えてきました。
「どうしよう… 」
「でもここまで来たんだから… 」
迷いました。
おそらくこのノリで行動出来るのはこれが最後に思えました。
体育祭も終わりこの先は大きな行事もありません。
みんなでバカ騒ぎもきょうまでかもと思いました。
だから入ってみる事にしました。
暗い一本道をライトも持たず女の子たちが固まり進んでいきます。
左右から竹がザワザワと揺れまるで帰れ帰れと言われているようです。
二分ばかり歩くと竹のトンネルの出口が見えました。
その先はまたひらけた場所になってそうです。
抜けたと思ったその時。
「何してんだ?」
そこに影が立っていました。
(見つかった!)
心臓停まるかと思いました。
おそるおそる顔を見て私たちはまた別の驚きに見舞われました。
「ひ、廣澤君…?」
それはほかのクラスの廣澤君でした。
思えば最初西門で見た時から同じ背が高いという特徴だけで山賀君本人だと確認はしていませんでした。

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっとみんなで探検しようかって」
しどろもどろになりながらも咄嗟に言いわけが出ました。
さすがに尾行したとは言いづらかったのです。
「そうか。こんなとこ何も無くてつまんなかったろ」
彼は特に責め立てる様子はありませんでした。
寧ろ私たちを気遣う態度でした。
廣澤君は運動部のエースで顔もかっこいい人でした。
でも普段から自分の事をあまり話したがらない性格でした。
だから尾けてしまい悪かったかなという気にさせられました。
と同時に思い出しました。
前に各クラスの住所録をみんなで見てた時「どこだよここw」と話題になったのがちょうどこの辺りでした。
(あれは廣澤君の住所だった、そう言えば… )
「手前に集落あったろ? あそこの一軒が俺んち。離れたここには婆ちゃんが住んでる。俺が世話してんだ」
なるべくなら知られたくなかったであろう事情を廣澤君は話してくれました。
色々あって親が人目を避け暮らしている事。
貧しいうえにお婆さんの世話もしなければいけないから中学を出たら働きに出るだろうという事。
(こんなスポーツの得意な人がもう続けられないなんて… )
世の中は不公平だと十五年生きて初めて教えられた思いでした。