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「孤高の人」といえば実在の登山家「加藤文太郎」だが、Hさんも彼にあこがれて一時期、単独行をやったことがあるそうだ。

絶対無事故がワンゲルの鉄則なので、一番最初は槍ヶ岳の表銀座コースをやった。
混むのを避けて、紅葉も終わりのころを狙って西岳のテント場に単独泊した。
何もないザレ・ガラ場で、時期的にみんなヒュッテに行ってしまうらしく、だれもいなかった。

風もなくおだやかな夜で、Hさんはのびのびと単独泊を満喫した。

その真夜中。
Hさんはガレの触れあう音で目を覚ました。
初めての単独行のせいか、いきなりイヤな話が頭に浮かんだ。

へりとか、そういった文明の利器が発達してなかった明治・大正・昭和の中ごろまでは、遭難者の
死体は回収せずに、山に葬る。

ザレ・ガラ場がそういう場所に選ばれた。

知らずにそこに泊まると、死者は懐かしさのあまり墓場を出て、そばに来ようとする。
夜中に音がするのは死者が這い出ようとザレをかきわける音なのだ。
Hさんは自分の全身の筋肉が、恐怖でギュウ~っと固まるのを覚えているそうだ。

とにかく外が見たい。

外をのぞくのも怖いが、テントの中でじっとしているのも、今にも入り口が引き開けられそうで怖い。
さんざん迷った挙句、Hさんは音がしないよう細心の注意を払いながら、少しだけ開けた。

そのとたん、音はぴたりと止んだ。

明かりで外を照らす勇気はどうにも出なかったので、そのまま夜明けを待ったそうだ。
Hさんに言わせると、
「カチャ、カチャ、という賽の河原でケルンを積み上げるような音。這い出てくる音とは違う気がした」