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これは帝釈山系の一山村に生まれ、木挽や炭焼を生業にしていたある男の聞き書きである 
芹沢に生涯を過ごした彼が猟師として猟銃を手にしたのは25の時 
病を機に筆をとり、長らく山に暮らした中で、常識では解釈のし難い現象が山では起こることを 
世の語り草として遺して置こうと書き綴ったものである 

S氏と彼の従兄のG君は、当時毎晩のように芹沢の奥から近山にかけてムササビ狩りを続けた 
ムササビの毛皮が高値で取引されていた頃である 

その夜もこの二人は一羽のバンドリを仕留め、「五円くらいになったな」などと話をしながら 
湯西川の持丸山から大尾根を芹沢山の小谷沢に向かって帰ってくる途中だった 

すると左手の小さな尾根辺りで、強い風が吹き出したように轟々と聞こえ始めた 
「ありゃあ、随分強い風が吹き出したもんだ」と二人は吹いて来るであろう風を避けるべく、 
楢の大木を見つけ、根元に腰を下ろして風が吹き過ぎるのを待っていた 

その時である 
先刻まで風が吹き荒れるような音を出していた左手の小尾根の麓の方から、 
ひと抱えもふた抱えもあろうかと思われる、太くて長く、途轍もなくでっかい丸太のような物が 
轟々ビュウビュウと音を立てながらドッコン、ドッコン、と縦に転がりながら、 
大尾根の方に登って行くのが目に入ったそうだ 

時間にしたら五分くらいか 
いや、もっと短かったかも知れない 
そのでっかい物が尾根を駈け上がって見えなくなったら、轟々という音も、ビュウビュウ唸る 
風音のような不快な音も聞こえなくなり、山は元の静けさに戻ってきた

それから二人は話もせずに一目散に山を駆け下るとひた走りに走って家に帰った 
その間のことは何がどうだったのかあまりよく覚えていないが、でっかい物が向こう側に 
どっこんとひっくり返って視界から消える時「ヒギィーーッ!ヒギィーーッ!」とふた声ほど 
聞こえたように記憶すると話の途中に真似をしてみせた 

それからS氏とG君は、あの夜小豆の沢山辺りを歩いた者がいなかったかどうかを 
鉄砲打ち仲間に聞いて歩いたそうである 
すると伯父のHさんとその友人のAさんが、同じ刻限の頃、あの怪物が尺八にでんぐり返りつつ 
登って行った尾根の反対側の大きな窪地でムササビ探していたというが、両人が聞いたという 
あの轟々ビュウビュウ唸る音もでんぐり返るように尾根を登って行ったでっかい怪物も見なかったという 

「俺はあの時こそ頭の毛が一本一本逆立ってゆくのをハッキリ覚えているよ」と 
病床が彼の前で何回かこの話をしたという