おかんから聞いたんだけど小さい頃秋田に住んでたおかんは大人によく
「海に行くと北○鮮にさらわれるから一人で行っちゃダメよ」
と言われたらしい。
俺のおかんはもう還暦近くて
そういう風に言われてたのは、横田○ぐみさんとか曽我○とみさんとかの拉致が話題になるどころか
発生するずっと前の昭和30年代の話になる。
調べてみたら有名な70年代の拉致以前にも1963年に石川県付近で日本人が拉致されているらしいけれど
おかんの話が事実なら、それよりさらに前に東北の海では北○鮮が拉致を行っており
それが地元の人間の意識に根付いているレベルだったようだ。
確かに朝○戦争が勃発したのは1950年だから昭和30年代以前にも拉致があってもまったく不思議ではないが
しかし東北地方で拉致があったなんて話は他で聞いたことが無い。
昔の事とはいえ地元の人が認識していたことがなんですっぽりと表から消えてしまっているのだろう。
ちなみおかんは最近になってこのことを思い出したと言っていた。
コメント
コメント一覧 (4)
夕方を過ぎると人さらいが出るから早く帰れと言われたものだ
その頃の東北なら天狗にさらわれたとか、神隠しとか言っててもおかしくないけどな。
特に新潟は北朝鮮帰還船の出航港があったから昭和30年ごろは、韓国情報機関による新潟日赤(送還事業の主要機関)襲撃未遂事件等、南北朝鮮人がわやくちゃしとったんだよ。
当時の韓国情報員の調書で東北北陸での密入国及び出国が常態化してたことが分かるから、況や朝鮮をや、でしょう。
海辺に住んでたら不審船の存在を知らない者は当時居なかったと思うよ。
昭和の終わり、40〜50年代の経済成長や日教組が主導して人権問題などの児童への刷り込み、マスコミの左翼擁護(ソビエト崩壊までは教育機関や報道機関に共産主義を理想とみなす人達が多かった)などで「分断された可哀想な人達を助けてあげよう。日本にはその責任がある」みたいな空気になって、表立って口にする人が居なくなった。
20〜30年代なら、しばしば密航してくる朝鮮人と海辺で行方不明になる人を結びつけるのは自然だったと思うよ。
昭和という時代にノスタルジー感じるのは分かるけど、そんなメルヘン一辺倒な、のほほんとした時代ではないよ。
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