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幼稚園の頃、私は何でも知りたがり色々な疑問を、両親や祖父母に聞いていました。 
ある日私は近辺の地名に由来があることを知り、とても興味を持って詳しく聞いていました。 
地域の歴史に詳しい母と祖母は、私の言う地名の由来をスラスラと答えてくれていました。 
ただ一つの地名を除いて…。

仮にそこを`赤丘`と名付けましょう。その地名だけは由来を聞くと話をそらしてしまいます。 
所が何回か由来を聞くと 
「赤粘土の土地だから赤、それに丘も多いでしょ?だから赤丘なのよ」 
 祖母が、まるで思い出したかのように教えてくれました。 
同時に何かを隠すかのように語りはじめたように思えたのです。 
当時幼い私でも何となく不可解に感じました。 

もともとその地域は親族同士で不動産争いや、障がいのある方が生まれやすい場所です。 
そして、道のあちこちにお地蔵さんや石碑があります。 
その大半が建立から何百年経っており、文字も、地蔵様(?)の表情がわからないほど風化していました。

それから数年後。私は小学校に上がり土地の歴史を知ることになりました。 
その時は赤丘という地名や、一連の出来事などはすっかり忘れていました。 

高学年になり歴史の授業を受けている時、教科書に記載されている大きな戦が太い文字で記載されていました。 
赤丘とはかなり距離が離れている地域ですが、以前家族旅行で見たことある地名でしたので、先生に質問しました。 
「この戦争の名前って地名に関係することなんですか?」 
私の質問に先生はいつものように語り始めました。 

“後三年の役” 
約千年前の、当時最大規模の戦でした。

帰宅してから後三年の役の話を。 
そしてその時私は幼かった時に“赤丘”のはぐらかされてしまったことを思い出し 
もう一度家族に質問してみました。 
その話をすると、家族みんなが困ったような顔をしました。 
「知ってしまったか」そう言わんばかりの顔です。 
その時は何の気なしに「今日こんなこと習ったよ」という家族の会話に出しただけだったはずが 
何やら重たい空気に変えてしまったようで、少し怖いと感じました。

ややあって話を切り出したのは祖母でした。 
祖母は「御侍さんの血で赤く染まった丘、だから赤丘と言うのよ。」 
ポツリ呟くように言いました。 

最も激突が激しかった所が今の`赤丘`だったのです。 
当時その近辺は侍の血で染まらない土はないという程のものでした。 

幼い頃、親が教えてくれない理由がわかった時、鳥肌が立ちました。 


`忌み地`とは案外身近にあるかもしれません。 
事故やトラブルがが何故か多い土地、何故か石碑が多い土地はありませんか? 
もしかしたら、それは・・・。