HOSSDIM2702_TP_V

大学一回生の春だった。 
そのころ僕は、同じ大学の先輩だったある女性につきまとっていた。
もちろんストーカーとしてではない。 
初めて街なかで見かけたとき、彼女は無数の霊を連れて歩いていた。子どもの頃から霊感が強く、様々な恐ろしい体験をしてきた僕でも、その超然とした姿には真似の出来ない底知れないものを感じた。 
そしてほどなくして大学のキャンパスで彼女と再会したときに、僕の大学生活が、いや、人生が決まったと言っても過言ではなかった。しかし言葉を交わしたはずの僕のことは、
全く覚えてはいなかったのだが。 
『どこかで見たような幽霊だな』 
顔を見ながら、そんなことを言われたものだった。 
そして、綿が水を吸うように、気がつくと僕は彼女の撒き散らす独特の、そして強烈な個性に、思想に、思考に、そして無軌道な行動に心酔していた。 
いや、心酔というと少し違うかも知れない。ある意味で、僕の、すべてだった。 
師匠と呼んでつきまとっていたその彼女に、ある日こんなことを言われた。 

「空を歩く男を見てこい」 
そらをあるくおとこ? 
一瞬きょとんとした。そんな映画をやっていただろうか。いや、師匠の言うことだ。なにか怪談じみた話に違いない。 
その空を歩く男とやらを見つければいいのか。 
「どこに行けばいいんですか」と訊いてみたが、答えてくれない。なにかのテストのような気がした。ヒントはもらえないということか。 
「わかりました」 
そう言って街に出たものの、全く心当たりはなかった。 
空を歩く男、というその名前だけでたどりつけるということは、そんな噂や怪談話がある程度は知られているということだろう。 
正式な配属はまだだが、すでに出入りしていた大学の研究室で訊き込みをしてみた。

地元出身者が多くないこの大学で、同じ一回生に訊いても駄目だ。地元出身ではなくとも、何年もこの土地に住んでいる先輩たちならば、そんな噂を聞き及んでいるかも知れない。 
「空を歩く男、ねえ」 
何人かの先輩をつかまえたが、成果はあまり芳しくなった。なにかそんな名前の怪談を聞いたことがある、というその程度だった。内容までは分からない。 
所属していたサークルにも顔を出してみたが、やはり結果は似たりよったりだった。 
さっそく行き詰った僕は思案した。 
空を歩く、ということは空を飛ぶ類の幽霊や妖怪とは少しニュアンスが違う。しかも男、というからには人間型だ。他の化け物じみた容姿が伴っているなら、その特徴が名前にも現れているはずだからだ。 
想像する。 
直立で、なにもない宙空を進む男。 
それは、なにか害をもたらすことで恐れられているようなものではなく、ただこの世の理のなかではありえない様に対してつけられた畏怖の象徴としての名前。 
空を歩く男か。 
それはどこに行けば見られるのだろう。空を見上げて、街じゅうを歩けばいつかは出会えるのだろうか。 
近い怪談はある。例えば部屋の窓の外に人間の顔があって、ニタニタ笑っている。あるいはなにごとか訴えている。 
しかしそこは二階や三階の高い窓で、下に足場など無く、人間の顔がそんな場所あっていいはずがなかった、というもの。 
かなりメジャーで、類例の多い怪談だ。 
しかし、空を歩く男、という名前の響きからは、なにか別の要素を感じるのだ。 
結果的に空を歩いていたとしか思えない、というものではなく、空を歩いている、というまさにその瞬間をとらえたような直接的な感じがする。 
………… 
そらをあるくおとこ。 
そんな言葉をつぶやきながら、数日間を悶々として過ごした。 


「知ってるやつがいたよ」 
と教えてくれたのは、サークルの先輩だった。同じ研究室に、たまたまその話を知っている後輩がいたらしい。

さっそく勢いこんで研究室に乗り込んだ。 
「ああ、空を歩く男ですよね」 
「知ってる知ってる」 
僕と同じ一回生の女の子だった。それも二人も。どちらも地元出身で、しかも市内の実家に今も住んでいるらしい。 
優秀なのだろう。うちの大学の学生で、地元出身の女性はたいてい頭がいいと相場決まっている。女の子だと、親があまり遠くにやりたくないと、近場の大学を受けさせる傾向がある。 
その場合、本来もう少し高い偏差値の大学を狙えても、地元を優先するというパターンが多い。そんな子ばかりが来ているのだ。つまりワンランク上の偏差値の頭を持っている子が多いということになる。 
「なんだっけ。幸町の方だったよね」 
「そうそう。うちの高校、見たって子がいた」 
「高校に出るんですか」 
「違う違う。幸町だって。高校の同級生がそのあたりで見たの」 
バカを見る眼で見られた。説明の仕方にも問題がある気がするのだが。 
とにかく聞いた話を総合すると、このようになる。 
『空を歩く男』はとある繁華街で、夜にだけ見られる。 
なにげなく夜空を見上げていると、ビルに囲まれた狭い空の上に人影が見えるのだ。 
おや、と目を凝らすとどうやらその人影は動いている。商店のアドバルーンなどではない。ちゃんと、足を動かして歩いているのだ。 
しかしその人影のいる位置は周囲のビルよりさらに高い。ビルの間に張られたロープで綱渡りしているわけでもなさそうだった。 
やがてその人影はゆっくりと虚空を進み続け、ビルの上に消えて見えなくなってしまった。明らかにこの世のものではない。 
その空を歩く男を見てしまった人には呪いがかかり、その後、高いところから落ちて怪我をしたり、もしくは高いところから落ちてきたものが頭に当たったりして怪我をするのだという。 
「その見たっていう同級生も怪我をした?」 
「さあ。どうだったかなあ」 
首を捻っている。 
どうやら最後の呪い云々は怪談につきもののオマケようなものか。

伝え聞いた人が誰かに話すとき、そういう怪異があるということだけでは物足りないと思えば、大した良心の呵責もなく、ほんのサービス精神でそんな部分を付け足してしまうものだ。 
ツタンカーメン王の墓を暴いた調査隊のメンバーが次々と怪死を遂げたという『ファラオの呪い』は有名だが、実際には調査隊員の死因のみならず、死んだということさえ架空の話である。 
その『呪い』はただの付け足された創作なのだ。発掘調査に関わった二十三人のその後の生死を調査したグループの研究では、発掘後の平均余命二十四年、死亡時の平均年齢七十三歳という
結果が出ている。 
なにも面白いことのない数字だ。 
しかし、そんな怪異譚を盛り上げるための誇張やデタラメはあったとしても、ハワード・カーターを中心に彼らが発掘したツタンカーメン王の墓だけは真実である。 
空を歩く男はどうだろうか。 
そんな人影を見た、ということ自体は十分に怪談的だけれども、どこか妙な感じがする。 
因縁話も絡まず、教訓めいた話の作りでもない。そこから感じられる恐ろしさは、その後のとってつけたような怪我にまつわる後日談からくるものではないだろうか。 
なんだか本末転倒だ。つまり肝心の前半部分が、創作される必然性がないのである。 
すべての要素が、こう告げている。 
『空を歩く男は、実際に観測された』と。 
その事実から生まれた怪談なのではないだろうか。 
錯覚や、なにかのトリックがそこにはあるのかも知れない。 
話を聞かせてくれた二人に礼を言って、僕は実際にその場所へ行ってみることにした。