名前も学年もわからない彼に、それでも僕はホッとして全身の力が抜けた。
彼は、僕の隣の個室に入ったようだった。
一人じゃないってだけで、急に安心感が襲うんだから、人間なんて単純なもんさ。
ようやく安心した心地で用を済ませていた時、僕は妙な事に気が付いた。
足だ。
サンダルを履いた足が見えているんだよ。
トイレの個室って上と下が空いているだろう?
下の隙間はほんの数センチなんだけど、そこに確かにサンダルを履いた足が覗いているんだよ。
ピンク色で、小さな花の飾りがついていてね……小さな女の子だとわかった。
まだ隣の個室からは物音がしていたから、さっき入ってきた生徒とは別の人物のようだ。
誰かの付添いで学校に来て、迷いこんでしまったのかな?
すっかり恐怖心が薄れていた僕は、ぼんやりとそんな事を思っただけだった。
だけど、よく見たらおかしいんだよ。
普通立っていると両方の親指が内側にきて小指が外側にくるだろう?
なのにその小さな足は親指が外側にあって小指が内側に揃っていたんだ。
それに何故か足も、その下の床もびしょびしょに濡れているんだよ。
もしかしたら足をクロスさせているだけかもしれない。体の柔らかい子なのかもしれない。
……それでも得体の知れないその足に、僕はゾーッとしたよ。
身動き一つ取れずにその足を見つめていたら、不意にコンコンッ、て小さなノックの音が響いたんだ。
僕は思わず情けない悲鳴をあげそうになったよ。
それでも口を押えて必死に飲み込んだ。
ノックの主は、きっと女の子なんだと思う。
使っていない個室なら扉が開いているし、勿論僕と隣の個室以外は埋まっていないはずだ。
なのに、わざわざ女の子は僕の個室をノックしてきたんだよ。
僕はノックを返さなかった。
だって使用しているのは一目瞭然なんだから。
それに、悪ければ悪戯で、そうでなくても隣の生徒の連れなんじゃないかと思ったんだ。
それならば僕が返事をしたら女の子を混乱させてしまう。
僕はじっと息を潜めて、足を見つめていたよ。
そうしたらその足は、ゆっくりと隣へ移動していったんだ。
……さっき来た生徒が使っている個室の前さ。
すっかり気味が悪くなってしまっていた僕は、ああやっぱり隣の生徒の連れなんだ、なんて自分に言い聞かせるようにしてさっと用を済ませた。
個室を出るのも怖かったけど、こんな狭い所に閉じ込められていると余計な恐怖心が煽られるばかりだからね。
意を決して扉を開けたんだ。
……そこには、誰もいなかったよ。
またそれが恐怖を煽ったけど、あんな小さな足音じゃ移動しても聞こえないのかもしれないな。
深く考えないようにして僕は急ぎ足で手洗い場へ向かった。
手を洗っていると、コンコンッ、ってノックの音が聞こえた。
中からじゃない、こちら側からの音だ。
恐怖で意識を集中していたからすぐにわかった。
慌てて鏡を見てまた背筋が冷えたよ。
だってやっぱり鏡には閉まった個室の扉以外、誰の人影も映っていないんだ。
僕が凍り付いていると、個室内の彼がコンコン、と返事のノックをする音が聞こえた。
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