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 私がまだ5歳くらいの頃、祖父が亡くなった。 
私はおじいちゃん子で、いつも祖父の部屋に行っては一緒に遊んでもらっていたような記憶がある。 
祖母は早くに亡くなっていたので私には祖母の記憶はなかった。 
私には8歳離れた姉が居たが、姉と遊んだ記憶はあまり無く、いつも祖父の部屋で遊んでいた。 
そんな私に姉がいつも不機嫌そうにしてるのが何故か印象に残っていた。 
その祖父がある日突然の体調不良で入院。 
手術で肺の一部だか片方だかを摘出したらしく、退院後も酸素吸入無しでは生活が困難な状態だった。 
元々、頻繁に出歩く人でもなく70歳を越えて体力の衰えもあり部屋に居る時間が増えた。 

私の家族は祖父の家である古い日本家屋に住んでいた。 
一部が建て増しされた2階建てで、祖父の部屋の真上あたりの部屋で姉と同室だった。 
普段からあまり会話のなかった姉と祖父が居ない間はよく遊んでいたが、 
祖父の退院後はまた不機嫌そうな姉との会話も無くなっていた。
 
そんなある日、弱っていた祖父の体調が思わしくなく、親から祖父の部屋に行くなと言われていた。 
幼い私は祖父の体調の心配より一緒に遊べない不満だけを募らせていた。 
自分の部屋で一人で遊んでいると、普段はほとんど口をきかない姉が話しかけてきた。 
「今日はあの人のとこに行けないね」 
姉は祖父の事を「あの人」と呼んでいた。 
下を向いて遊んでいた私には姉の表情は解らなかったが 
その声は無機質で冷たい感じがしたのを覚えている。 

その後「今日は行っちゃダメだよ」気遣うような声を残して部屋を出ていった。 
その背中に「うん」と軽く答えた。 
容態が安定しない祖父の元には、かかりつけの医師や親族が訪れ 
普段には無い落ち着かない雰囲気が家の中を支配していた。 
夕方近くになってようやく祖父の状態も安定し駆けつけた親族も帰り静かな夜が戻った。 
その深夜、2階の部屋からトイレのある階下に降りて用を済ませて階段を上がる時、 
廊下の突き当たりの祖父の部屋の方を何となく見ると、障子戸の前に人影があった。 

小さかった私は恐さから階段の上り口に身を隠しながら覗き込むと、 
そこには寝間着姿の姉が立っていた。 
「こんな夜中に何故?」よく見ると姉の手には何か握られていた。

紙…その瞬間、私はそれがお金だと思った。 
時折、祖父からお小遣いを貰ってはいた。姉には千円程度、私は百円玉を数枚。 
そんな時姉はいつも同じようにお金を握っていた。 
姉は祖父の財布からお金を抜いたのか。 

そう思い見てはいけない事を見てしまったと罪悪感から足音を殺して階段を上り部屋に戻った。 
ほどなく姉は静かに部屋に戻るとすぐに床についた。 
私は罪悪感と薄ら怖い感覚が緊張を呼びなかなか寝つけなかったが極度の緊張と興奮、 
それからくる疲労感から暗闇に落ちるように眠りについた。 
目覚めたのは階下の騒がしい人々の往き来の音のせいだった。 
昨夜の事もあり姉の布団を見るとすでに脱け殻だった。 

着替えもせずに階下に下りると、まだ朝早くにも関わらず多くの人が集まっていた。 
その中には昨日の医師の姿もあった。 
母親に促されて着替えをすると怪訝そうな私に母が「おじいちゃんが死んじゃったのよ」 
と目を合わす事もなく忙しそうに一言だけ呟いた。

昨夜あった事も全て忘れて祖父が「居なくなった」という事実が受け入れられずに混乱した。 
人が集まる喧騒に慣れていなかったせいで、私は部屋に篭って一人本を読んだりして過ごしていた。 
しかし、何故か祖父が居なくなった事に少しの安堵のようなものも感じていた。 
妙に複雑な気分の中で夕刻を迎え、わけも分からず通夜と葬儀を終えた。 

祖父の部屋の隣が仏間だったせいもあり、祖父の居なくなった後も祖父の部屋へ行く事が多かった。 
初七日、四十九日と法要があり、親族家族が集まるのが楽しく祖父の部屋で従兄弟などと遊んでいた。 
しかし、姉は相変わらず祖父の部屋に居る事をあまり好まなかった。 
用が済むとそそくさと自室に戻ってしまった。 

その後、姉とは何事も無かったように付かず離れずの関係で、 
歳も離れていたせいもあり特別仲良くというわけでもなく過ごした。 
私が小学5年くらいになったある日、学校から戻った私に姉が話しかけてきた。 
「あなたにプレゼント。今のあなたにはまだ難しいから高校生になったら読みなさいね。」 
手渡されたのは難しそうなタイトルの分厚い本だった。 
なぜこの時期にこのタイミングだったのかは後で疑問に思ったが、この時は「ありがとう」だけで受け取った。