NAT88_ajisaitohokora_TP_V

2010年の9月頃・・・その当時、自分は担当しているゲームソフトのマスターアップが終わり久々にまとめて休みが 
取れたので中部地方のとある農村を訪れることにした・・・ 
その少し前に数年付き合った彼女と別れてしまい、その傷心旅行も兼ねての旅だった・・・ 

そこは都会からかなりの距離、離れている山間の農村・・・ 
一応、観光地であるが未だ残暑の面影が強く、目的地までの電車に降り注ぐ陽光は額にうっすらと汗を滲ませる 
には十分だった 

朝、都心を出たにも関わらず到着時には陽も暮れかけ、夕日が豊潤な山野を赤く染め上げていた 
ガタゴトと揺れる電車の窓から見える景色の移ろいは、一瞬だが都会でのストレスを忘れさせてくれる気がした 

駅に着き、去りゆく電車を見送りった後、辺りを軽く見回す・・・ 
随分と時代を感じさせる駅だ・・・無人駅ではないものの、柱の所々に腐ったようなささくれが目立つ構内だった 
そして改札を抜け真っ先に視界に飛び込んできたのは、昭和の煤けたような香りのする寂れた景観だった 

約半年の間、休日が無かったことで鈍った感覚と脳をリフレッシュさせるには、やはりこれくらいのレトロ感が 
必要だ・・・脳が無意識のうちにそう感じとっていた 
街のメインストリートと思しき商店街をぶらつく・・・まるでここだけ時代が止まっているかのような錯覚に陥る・・・ 
幾人かの観光客とすれ違うも、どこかセピア色の写真を見ているかのように感じる・・・ 
首から下げたデジカメのシャッターを無心で何度も押す・・・いい所だな・・・ 

およそ300m程続いた商店街を抜けると、そこには一円の田園風景が広がっていた 
ギラギラと照りつく夕日で田には陽炎が見てとれ、何とも形容しがたい神秘さを醸し出していた・・・ 
ふと右手を見ると森の中に小高い丘があり、そこの頂上付近には神社らしき建物があるのが見てとれる 
自分の出身地も田舎の寒村だが、それとは違う静寂さに包まれた風景に無心でシャッターを押していた


完全に日も暮れ、街灯に火が点る・・・ 
ゆっくりと歩いてきたつもりの街も、気が付けば遠くに見えるではないか 
自分でも気がつかない間に、結構な距離を歩いてきてしまっていたようだ・・・ 

今回、敢えて宿は予約してこなかった・・・自分としては珍しいのだが、たまには行き当たりばったりで旅を 
楽しんでみようと考えていたからだ・・・ 
理由はリフレッシュというより、失恋が原因と言ったほうが適切かも知れない・・・別に野宿でも構わないのだ 

街に戻れば宿もあるだろう・・・しかし戻るのは何故か悔しい気がしたので、そのまま街の外れを更に奥へと進む・・・ 
山間部にある田舎の闇は深い・・・あれだけギラギラしていた風景が、街灯こそあっても大きな穴のようにどこまでも 
光を飲み込んでしまうような錯覚さえ覚えていた・・・ 

完全な闇の中を歩いてしばらく、仕事のことや元彼女のことなどを考えていると遠くに灯が見えた 

ゆらゆらと揺れながら形を変え、ゆっくりと近づいてきたそれは提灯を手に持つ老婆だった・・・ 

遠く都会から離れ、ひとり幻想的な世界で妄想にふけっていた自分はハッと我に返り、その老婆にこの近くに 
宿がないかを聞いてみた・・・老婆は腰が曲がり、うつむいたままの姿勢で何も言わず、老婆が来た方向を指差すと、 
そのままゆっくりと通り過ぎて行ってしまった・・・俺は一言、ありがとうございます と言い、老婆を見送った・・・ 
街灯に照らされた老婆の背中は小さく、腰からは白いタオルのようなものがぶら下がっていたが、やがて闇に消えた 

いつの間にか砂利道になっていた農道をしばらく歩くと、光が見えた 
目を凝らすと二階建ての家屋のようである・・・さっきの老婆の教えてくれた宿だろうか・・・? 
周りを囲む山々はまるで闇の壁のように自分を覆いつくそうとしている・・・その中にポツンと揺らめく灯篭の灯・・・ 
ジャリジャリと音を立てて歩く速さは、無意識のうちに徐々に増していった

木造の家屋だ・・・門には確かに宿と書いてある 
しかし作りは結構な時代を感じさせる・・・まるで江戸時代の宿場町にある宿屋のようだ・・・ 
庭にある灯篭と玄関の裸電球だけが、闇夜にあって時代を倒錯させる要素としては十分過ぎる効果を演出していた 
自分はふと写真を撮ろうと、カメラのファインダーを覗くと玄関がガラガラと音を立てて開き、中から宿主と 
思われる婆さんが出てきた・・・ 

あ・・・すいません、予約してないんですが今日って泊まれますか・・・? 

婆さんは、ジロジロとこちらを見ると、はいどうぞ・・・と、自分を宿内に案内してくれた 
部屋に通され背負ってたリュックとカメラを置くと、宿が見つかった安堵感と長旅の疲れでゴロンと畳の上に 
寝転び、天井を見ながらあれこれ考えていた 

ふと、入口の襖の向こうから声がした・・・若い女性の声だ・・・ 

自分は驚いて飛び起きると襖がスッと開き、和服の女性が会釈をしてきた 
(あ、この宿の娘さんかな?)と思い、お世話になります、とこちらも会釈をし、入れてくれたお茶をいただいた・・・ 
清楚で黒髪に落ち着いた雰囲気・・・和服がよく似合っている・・・ 
こんな山奥にも綺麗な人がいるんだな・・・と感心しながらも、他愛の無い世間話を交わして娘さんは部屋を去った 

夕食を用意するのに時間がかかるとのことなので、先にお風呂をいただいた 

民宿の風呂なので小さめだが湯量と温度は申し分ない・・・窓から見える星空も都会の喧騒を忘れさせてくれるには 
十分だった・・・そして気が付くとさっきの娘さんのことを考えている自分に気が付いた・・・ 
まいったな、一目惚れか・・・? 失恋旅行なのに・・・ま、いっか・・・ 
湯から上がり、鼻歌交じりで部屋に戻るとすでに夕食が並べられていた・・・ん?随分と豪勢だな・・・

民宿というイメージから精進料理のような期待感しかなかったがどうして、魚や肉、天ぷら、吸い物と食べ切れない 
くらいの量の器が並べられていた・・・普段コンビニ弁当が主食の自分にとっては、よだれモノの数々だったのだ・・・ 

座布団に座り食べ始めると、娘さんがお酒を持ってきてくれた・・・地酒だという・・・喜んでお酌をしてもらうのだが、 
先程とは違い、娘さんを意識して緊張・・・うまく話せない・・・年の頃は同じくらいだろうか・・・品があり、落ち着いて 
いてしっとりとした大人の雰囲気・・・仄かな香の匂いが鼻腔をくすぐる・・・ 

思い切って名前を聞くと、・・・葉子です・・・と答えた 

食事を終え布団を敷いてもらうが、緊張が収まらずなかなか寝付けそうもない 
煙草に火を点け、窓側にある椅子で外の風景を眺める・・・毎日朝から晩まで休み無く働いていたのが嘘のような静寂 
が周りに広がっている・・・遠く、すず虫の鳴き声が早くも初秋を感じさせていた・・・ 

仕事の多忙さが原因で結婚まで考えた彼女との別れ・・・精神的な支えだった存在を失い、自分の生きる道に疑問が 
沸いていた・・・俺、このままでいいのかな・・・? 

その晩、夢を見た 

街でお祭りをやっている・・・ 
空は晴れているがパラパラと雨が降っている・・・ 
街の人達は何か嬉しいことがあったのか皆お面をかぶり、嬉々として踊ったり歌ったりしているようだ 
ふと街の先を見ると何かの行列が行進していくようだ・・・何があるんですか?と聞くのだが皆、答えてくれない・・・ 
そして人ごみの中に、宿を教えてくれた老婆の後姿を見つけたが、いつの間にか見失ってしまい・・・目が覚めた 

変な夢だったな・・・ 
窓から眩しい朝日に照らされた外の風景を見ながら煙草を吸っていると、宿の婆さんが朝食の支度をしてくれた 
どうやら娘さんは早朝に出かけてしまったらしい・・・残念だな、と思いつつも身支度をして観光に出かけた 
ここには二泊ほどするつもりだった