161 : 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2011/02/23(水) 02:10:46.22 ID:b9km9kbE0 [2/4回(PC)]
1913年1月26日15時20分頃、生駒山で作業中トンネル内で落盤事故が発生。 
生駒方面の出口から約700mのところで落盤。 
朝鮮人労働者が約150人トンネル内に閉じ込めら、生き埋めになったそうだ。 

開通後もいろいろな事件が発生する。 
1946年12月24日9時30分頃トンネル内で停止中の奈良発上六行き急行に 
後続の各駅停車上六行きが追突。乗客18名が死亡、53人が負傷。 

1947年4月16日14時15分にトンネル火災。 
列車の床下から出火し、車両が全焼。乗客28名が死亡、58人が負傷する。 

1948年3月31日ブレーキ故障事故。 
奈良駅発上六行き急行のブレーキがトンネル内で故障し、 
また、スピードオーバーでパンタグラフが破損し完全制御不能。 
結局暴走列車となり河内花園駅で先行していた各駅停車に激突。 
乗客49名が死亡。282名が負傷。 

 
162 : 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2011/02/23(水) 02:12:24.73 ID:b9km9kbE0 [3/4回(PC)]
事故の後、沿線の利用客のあいだで奇妙な噂がながれた。 
「奈良方面行きの最終電車が・・・おかしい。」 
深夜、乗客もまばらになった最終電車が、石切駅を発車する。 
「ごとん、ごとん」と電車は勾配をのぼりトンネルに差し掛かる。 
急坂を全力で登る電車のモ-ター音が悲鳴のように車内に響き 
わたる頃、がらんとしていた車内が突然・・・ 

「満員乗車」に変わるのだ。 

窓という窓に、無数の人影が映る。連結幌のところに佇む男。 
この様子は、車外からも大勢の住民に目撃されたという・・ 



163 : 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2011/02/23(水) 02:17:39.73 ID:b9km9kbE0 [4/4回(PC)]
あまりの目撃談の多さに、電鉄会社も対応を余儀なくされた。 
そして、ある「作業」によってこの状況を改善しようとしたのだった。 
その「作業」とは・・・ 
「最終電車の後に、もう一本電車を走らせる」というものだった。 
つまり回送電車である。しかしこれでは解決しなかった。 
いや、悪化したとも言える・・ 

無人のはずの回送電車に、以前にも増してギッシリと 
人が乗っているのが、外から確認できてしまうのである。 
評判を恐れた電鉄会社はさらにダイヤの改正をおこなった。 
すなわち、ダイヤ上に「架空の最終電車」を設定したのだ。 
そして石切駅の時刻表には、決して走ることのない 
「最終電車」の発車時刻が記されるようになったという・・