734 : 稲男 ◆W8nV3n4fZ. [sage] 投稿日:2010/11/13(土) 02:34:56 ID:emextffq0 [3/4回(PC)]
「そうだな、たとえばお前がピアノの発表会に出たとする。だが出演前に、お前の事が嫌いな奴が楽屋にやってきて、『お前にいい演奏なんぞ出来るものか』と言って罵った。どうだ?」 
想像してみる。 
「嫌ですね。すごく。もしかしたら演奏に影響するかもしれないです。本当にミスしちゃうかも」 
「そうだろうな。じゃあ今度はお前のファンだ。『いい演奏期待してます!』って応援される。どうだ?」 
想像してみる。 
「うれしいんじゃないでしょうか。応援されると、やっぱり」 
「普通はそうだな。じゃあそのファンが毎回毎回来て、毎回毎回応援してくれたらどうだ?百回でも千回でもだ」 
想像してみる。 
…………。 
「ちょっと嫌ですね、プレッシャーっていうか。落ちつか無そうです」 
言った後、あ、と思う。 
「まあ、そういうことだ。過ぎた好意は、時に悪意より厄介になる。ちなみにその子鬼、元凶と決着つけない限り居なくならないだろうな。まあ、頑張って探せよ」 
怨まれる覚えは無い、が、好かれる覚えは何の因果かあったりする。 
いつか、先輩に執着するあまり、自身の魂を削って生き霊を作り出した女を思い出した。 
「先輩、これってあの時の、生き霊のケースに似てませんか」 
先輩は意外そうな顔をした。 
「お前にしちゃ頭が回るな。もちろんその子鬼も、素になってる人間のエネルギーで動いてる。長い間放っておいたらまず共倒れだろうな」 
ああ、やっぱりそうだ。 
最近、様子がおかしかった人がいる。 
そしてその人は、俺に好意を寄せてくれている。 
放っておくわけには、やっぱりいかないだろう。 
先輩にも怒られてしまいそうだし。 
「……素の人ときっちり話をすればいいんですね?」 
俺は覚悟を決めた。 
話し合う必要がある。徹底的に。 
「さあ、どうだろうな。話し合った結果、その鬼が本物の災厄になる可能性だってある。お前の立ち回り次第だ。どうしても駄目だったら、無理やりひっぺがしてやるけど」 
「それは、スマートじゃないでしょう?」 
先輩は愉快そうに笑った。 
「そう言うだろうな。俺なら問答無用だが、お前は違う。無理やり剥がした場合、勿論鬼の親には影響がある。そうならないように頑張れよ」

 
735 : 稲男 ◆W8nV3n4fZ. [sage] 投稿日:2010/11/13(土) 02:35:52 ID:emextffq0 [4/4回(PC)]
全く人間というのは面倒なものだ。 
好きでも嫌いでも、結局相手に面倒をかけてしまう。 
どうしてこうなってしまうのかはわからないが、不思議とそれが面白く思えた。 
どうにも胸の奥がわくわくして、顔が緩んでしまった。 
この人も、人全体も、どこまでも興味深く、面白い。 
先輩は楽しそうな俺が気に入らないらしく、少し不機嫌そうだった。 

「ところで、だ」 
急に笑顔になった先輩が言う。 
すっかり馴染みの、いつもの悪意のある笑顔だ。 
緩んだ頬がきゅっと引きつる。 
「おん、っていう漢字、他にも思いつかないか?ほら、すごく馴染み深い言葉があるだろう。言ってみろ」 
俺は少し考える。 
一番身近な、おん、おん……。 
音? 
「おと、でしょうか」 
「正解」 
先輩は自分の口に人差し指を当てる。 
「言霊ってのがあるだろう。音には力があると信じられていて、信じられていたから音には実際力が宿った。言った事は現実に影響を及ぼすんだ。口からも、どんな形かわからないが鬼、『おん』が産まれる」 
さて、と、一旦区切って続ける。 
「それを踏まえた上で、お前、今日俺に相談があるって言ってたよな。どんな懸念でも言ってみろ」 
先輩の最高の笑顔を見ながら、俺は口を硬く結んで首を横に振った。 

子鬼 終