676 : 稲男 ◆W8nV3n4fZ. [sage] 投稿日:2010/11/07(日) 01:35:46 ID:cxJgfVtTO [1/4回(携帯)]
俺は奥手だ。 
奥手な方だと思う。 
多分、奥手なんじゃないかな。 
まあ、少なくとも積極的に異性と関わろうとしない。 
そんなわけで、いない歴は刻々と記録を伸ばしていた。 
だが、別に気になる人がいなかったわけじゃない。 
先輩のクラスに、その人はいた。 
彼女は、失礼だがとりたてて美しい容姿ではない。 
外観より実益を見るタイプなようで、過剰な装飾もしていなかった。 
あるいは、それが良かったのかも知れない。 
はっきり言えば地味な女性だったが、気が付けば、俺は彼女を見ていた。 
ある日、偶然ドアの近くに彼女がいて、俺は話しかけることが出来た。 
声も普通、徹底して地味な性質だった。 
先輩の不在を確かめる会話の中、俺は気付いた。 
俺は彼女の唇に心惹かれていたのだ。 

「お前、アイツの事好きなのか」 
俺は椅子から転げそうになった。 
全くこの人は、見てないようで良く見てる。 
色恋話には殊更厳しい図書委員が俺を睨む。 
「なんのことですか」 
平静を装ってみたが、自分でもはっきり失敗とわかる。 
静かな図書室に、ボリューム調節を失敗した声が響いてしまった。 
「まあ、どうだっていいんだ。そんなのは」 
追求が無さそうでホッとした。

 
677 : 稲男 ◆W8nV3n4fZ. [sage] 投稿日:2010/11/07(日) 01:37:35 ID:cxJgfVtTO [2/4回(携帯)]
実際の所、良くわからない。 
俺は彼女に惚れているのだろうか。 
それにしては、違和感がある。 
今まで、本気で女性を好きになった事が無かったから、感覚がわからないのかもしれない。 
「唇が、綺麗なんですよ。絶対、悪口とか出てこなさそうな唇してるんす」 
ぽつりと呟いてみる。 
先輩は興味無さげに、辞書のページをめくっている。 
しばらく無言でパラパラ眺めた後、俺の発言がようやく届いたのか、急に顔を上げた。 
「思い出した。ラパシーニの娘だ」 
知らない名前だ。 
ラパシーニ、とは誰だろうか。 
外国人?地名? 
「いや、ラパチーニだったか。まあいい。ドクムスメだ」 
ドクムスメという言葉が理解出来ず、一瞬固まってしまった。 
「急になんですか」 
先輩は一人ですっきりしている。 
どうやら思い出せ無かった事が出てきてご満悦なようだ。 
俺は全くわからなかったので、少しだけ不愉快だった。 
「ああ、知らんのか。……昔、そういうタイトルの小説を読んだ。内容は、いずれ自分で読んで確認してくれ」 
なるほど、小説のタイトルだったか。 
この図書室には無いのだろうか。 
「それがどうしたんです?」



 678 : 稲男 ◆W8nV3n4fZ. [sage] 投稿日:2010/11/07(日) 01:38:45 ID:cxJgfVtTO [3/4回(携帯)]
先輩は笑った。 
あの顔だ。 
人の不幸を嘲笑う時のような、真っ黒な笑顔。 
「だから、ドクムスメだよ。あいつに関する噂を聞いた事があってな。どっかで似たような話を読んだのがどうにも思い出せ無かったんだ」 
「で、何が言いたいんですか」 
苛々する。 
俺をからかうのは良いが、あの人まで悪く言うつもりだろうか。 
「小学生の頃、あいつが飼ってた犬が死んだらしい。それから、学校で飼ってた兎も。花壇の花も全部枯れたんだと」 
その、ラパシーニだかラパチーニだかの娘の話を読んでいれば、ここでピンとくるのだろうか。 
「ヒントはこれまで。図書館にあるはずだから、読んでみろよ。面白いぜ」 
そういうと、先輩は荷物を持って立ち上がる。 
「それから、あいつ、彼氏いるぞ」 
言いたい事だけ言って、先輩は帰った。 
後には、何一つ理解出来ないままの俺と図書委員が残された。 

しばらくして、彼女は死んだ。 
自殺だったらしい。 
彼氏と言われていた人は、それは酷く落ち込んでいた。 
俺は図書館でラパシーニの娘を読んだ。 
先輩の言いたかった事はすぐにわかった。 
俺の惹かれたあの唇は、言葉以外にも吐き出す物があったんだろう。


679 : 稲男 ◆W8nV3n4fZ. [sage] 投稿日:2010/11/07(日) 01:40:53 ID:cxJgfVtTO [4/4回(携帯)]
もしかしたら、彼女が何かを愛した時に、それは起こるのかも知れない。 
最初は、飼い犬。 
次に、可愛い兎。 
それから、綺麗なお花。 
……そして、素敵な彼。 
彼女は恐らくそれを防いだのだ。 
彼を殺す事を恐れて自らが犠牲になった。 
俺が彼女を想う時、必ず浮かんだラベンダー色の靄。 
あれはきっと、運命を狂わせる毒だったんだろう。 
今にして思えば、彼女に惚れていたわけじゃないとはっきりわかる。 
蛾が、電灯に近寄るように、ただあの唇に吸い寄せられていただけだ。 
本を閉じ、表紙をなぞり、目を閉じる。 
彼女の薄紫の人生を想って、少しだけ泣いた。 

毒娘 終