732 : 土の下   ◆oJUBn2VTGE [ウニ 今夜は終わり] 投稿日:2010/09/26(日) 21:20:36 ID:Lt8tjlVs0 [1/9回(PC)]
師匠から聞いた話だ。 


大学一回生の春。僕は思いもよらないアウトドアな日々を送っていた。それは僕を連れ回した人が、家でじっとしてられないたちだったからに他ならない。 
中でも特に山にはよく入った。うんざりするほど入った。 
僕がオカルトに関して師匠と慕ったその人は、なにが楽しいのか行き当たりばったりに山に分け入っては、獣道に埋もれた古い墓を見つけ、手を合わせる、ということをライフワークにしていた。 
「千仏供養」と本人は称していたが、初めて聞いた時には言葉の響きからなんだかそわそわしてしまったことを覚えている。 
実際は色気もなにもなく、営林所の人のような作業着を着て首に巻いたタオルで汗を拭きながら、彼女は淡々と朽ち果てた墓を探索していった。 
僕は線香や落雁、しきびなどをリュックサックに背負い、ていの良い荷物持ちとしてお供をした。 
師匠は最低限の地図しか持たず、本当に直感だけで道を選んでいくので何度も遭難しかけたものだった。 
三度目の千仏供養ツアーだったと思う。少し遠出をして、聞きなれない名前の山に入った時のことだ。 
山肌に打ち捨てられた集落の跡を見つけて。師匠は俄然張り切り始めた。「墓があるはずだ」と言って。 
その集落のかつての住民たちの生活範囲を身振り手振りを交えながら想像し、地形を慎重に確認しながら「こっちが匂う」などと呟きつつ山道に分け入り、ある沢のそばにとうとう二基の墓石を発見した。 
縁も縁もない人の眠る墓に水を掛け、線香に火をつけ、持参したプラスティックの筒にしきびを挿して、米と落雁を供える。 
「天保三年か。江戸時代の後期だな」 
手を合わせた後で、師匠は墓石に彫られた文字を観察する。苔が全面を覆っていて、文字が読めるようになるまでに緑色のそれを相当削り取らなくてはならなかった。 
「見ろ。端のとこ。欠けてるだろ」 
確かに墓石のてっぺんの四隅がそれぞれ砕かれたように欠けている。 

 
733 : 土の下   ◆oJUBn2VTGE [ウニ 終わりではないです。オートコンプリートのせい。] 投稿日:2010/09/26(日) 21:22:29 ID:Lt8tjlVs0 [2/9回(PC)]
「地位や金銭に富んだ人の墓石の欠片をぶっかいて持っていると、賭けごとにご利益があるらしいぞ」 
師匠はポシェットから小ぶりなハンマーを取り出してコツコツと、欠けている端をさらに叩きはじめた。 
「ここは土台もしっかりしてるし、石も良い物みたいだ。きっと土地の有力者だったんだろう」 
「でも、いいんですか」 
見ず知らずの人の墓を勝手に叩くなんて。 
「有名税みたいなもんだ。あの世には六文しか持って行けないんだから、現世のものは現世に、カエサルのものはカエサルに、だ」 
適当なことを言いながら師匠は大胆にもハンマーを振りかぶり、砕けて落剥したものの内、ひときわ大きな欠片を「ほら」と僕にくれた。 
気持ちの悪さより好奇心の方が勝って、僕はそれを財布の中に収める。やがて夏を迎える頃にはそんな石で財布がパンパンになろうとは、まだ思ってもいなかった。 
「もっと古いのもあるかも」 
師匠はその二基の墓を観察した結果、少なくともその先代も負けず劣らずの有力者であり、その墓が近くに残っている可能性があると推測し、再び探索に入った。 
しかしこれが頓挫する。 
日が暮れかけたころ、沢に向けてかつて地滑りがあったと思われる痕跡を見つけただけで終わった。そこに墓があったかどうかは定かではない。 
師匠は悔しそうな顔をして地滑りの跡をじっと見つめていた。 
その時だ。僕と師匠の立っている位置のちょうど中間の地面の落ち葉が鈍い音と共にパッと宙に舞った。驚いてそちらを見ると、続けざまに自分の足元にも同じ現象が起きた。 
「痛」 
師匠が右のこめかみのあたりを手で押さえる。 
石だ。石がどこかから飛んできている。気づいてすぐに周囲を見渡すと、果たして犯人はいた。 
沢の向こう岸の斜面に猿が一匹座っている。こちらの視線に気づいて、歯茎を剥き出して唸っている。怒っているというより、せせら笑っているような様子だった。 
そして地面から手ごろな石や木片を掴むと力任せにこちらに投げつけてくる。遊んでいるというには強烈な威力だ。小さなニホンザルと言っても木から木へ両手だけで移動できる腕力だ。



736 : 土の下   ◆oJUBn2VTGE [ウニ 終わりではないです。オートコンプリートのせい。] 投稿日:2010/09/26(日) 21:27:04 ID:Lt8tjlVs0 [3/9回(PC)]
僕は身の危険を感じて逃げ出そうとした。 
しかし師匠は一言「痛いんだけど」と口にすると、次の瞬間、沢へ向かって駆け出した。 
「なんだお前はこらぁ」と叫びながら斜面を滑り降り、ズボンが濡れるのも構わずバシャバシャと水をはねながら沢を渡り始める。 
止める暇などなかった。 
猿のイタズラにブチ切れた師匠が相手を襲撃するという凄い絵面だ。 
猿も沢の向こう側の安全地帯から一方的に人間を攻撃しているつもりが一転、身の危険を感じたのか、掴んでいた石を投げ捨てて威嚇するような奇声を発した後、斜面を登って木立の中へ逃げ込んだ。 
師匠も負けじと奇声を発しながら沢を渡り切り、斜面を駆け上って木立の中へ飛び込んでいった。 
僕は思わずその斜面の上を見上げるが、鬱蒼と茂った木々が小高くどこまでも続いている。猿を追いかけて獣道もない山の奥へ分け入るなんて、正気の沙汰じゃない。 
止めるべきだったと思ったがもう遅い。師匠の名前を呼びながら、戻って来るのをただ待っているしかなかった。 
猿なんだぜ。猿。 
そんなことを呆然と再確認する。素手の人間が山で猿を追いかけるなんてありえないと思った。 
それにあんな深い山の道なき道を走るなんて、崖から落ちたり尖った竹を踏み抜いたり、考えるだに恐ろしい危険が満載のはずだった。 
自分も沢を渡り、居ても立ってもいられない気持ちでうろうろと周囲を歩き回り続け、小一時間経った頃、ようやくガサガサと斜面の向こうの茂みが動き、師匠が姿を現した。 
全身に小枝や葉っぱが絡みついている。 
バランスを取りながら斜面を滑り降りる様子を見た瞬間に、僕は「大丈夫ですか」と言いながら近づいていった。 
師匠は「逃げられた」と言って顔をしかめている。 
何度か転んだのか服は汚れ、顔にも擦り傷の痕があった。しかし右腕を見た時には、思わず「だから言ったのに!」と言ってもいないことを非難しながら駆け寄った。 
師匠は暑いからと上着の袖を捲り上げていたのだが、その剥き出しの右腕の肘から下にかけてかなりの血が滴っているのだ。 
新しいタオルをリュックサックから取り出してすぐに血を拭き取る。師匠はその血に気づいてもいないような様子で、いきなり手を取った僕を邪険に振り払った。