355 : 刀  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2009/10/02(金) 23:20:39 ID:o7OYvvFV0 [16/24回(PC)]
刀身を見て、すぐに白いもやの様な線に気付いた。持ち手から斜めに上がっている。 
水影だ、と思った。 
二度焼きした時に出る線だ。二度焼きは再刃と呼ばれ、その刀の持っていた本来の価値を大きく損なうものだ。 
がっかりしかけたが、よく見ると再刃特有の刃紋の濁りもなく美しい形を保っている。水影がそのまま映りにつながっているところを見ると、これは逆にそうした趣向なのだと気付かされた。 
姿からすると堀川物かも知れない。だとすると案外これは値が張る。 
持つ手が少し緊張した。 
その隣では師匠が別の刀を手に取り、同じく鞘から抜こうとしている。しかし危うげな手つきで、しかも胸の前で刀を横にして左右に力を入れて引き抜こうとしていた。 
僕は思わず首を振って注意する。 
自分の左手の鞘をもう一度腰にあてて、さっきの僕と同じように抜けというジェスチャーをした。 
刀身を晒している時は喋らないのがマナーだということは雰囲気で察してくれたらしい。 
師匠は無言のまま見よう見まねで腰から引き抜いた。 
唾がつくと錆の原因にもなるので、刀剣を鑑賞する時には会話は慎むのが普通だ。そのために懐紙を咥える習慣さえあったのだ。 
刃を上にして抜くのも鞘の内側に擦らないようにするためだ。横にして左右に抜くと、刃を鞘に押し付ける形になり、鞘も痛めるし刃にも「ひけ」という傷がつくことがある。 
こんなに素人とは思わなかったのでドキドキしながら師匠の動きを注視していたが、その手に現れた刀身に思わず目が行った。 
あまりに滑らかな肌、そして刃紋。 
現代刀だ。 
木製の漆台も二本掛けで、大小が揃っている。残された脇差の拵えも全く同じ意匠で、しかも鍔に見覚えのある家紋があしらわれている。 
さっきの部屋にあった桐の箪笥にあった家紋と同じだ。倉持家の家紋なのだろう。 
ということは注文打ちに違いない。 
ここで僕の頭は回転を早めた。 
まずいな。

 
357 : 刀  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2009/10/02(金) 23:24:41 ID:o7OYvvFV0 [17/24回(PC)]
師匠はこのあとどうするつもりなのだろう。 
もしなんの霊感も働かない場合、正直にそれを依頼人に告げるだろうか。依頼人は自分のコレクションの中に人を斬った刀があることを望んでいるのだから、そんな結論にあっさりと納得するだろうか。 
安くない料金を興信所に払い、その代償としてお金に代えられない付加価値を見出す、というのが倉持氏の目的なのだろうから、逆にそんな刀はないというお墨付きを得た結果になると、これは酷い意趣返しだ。 
もし倉持氏がそんなことを想定もしていないような短絡的な人物だったなら、面倒なことになりそうだ。 
だから、いっそ師匠は霊視まがいのホットリーディングで見せたようなプロ意識と言うか、割り切った考え方をして「どうせわかりっこないから」と出まかせを言う可能性があるのだ。 
たとえば、「この刀はかつて人の生き血を吸っています」と。 
その発言がもし今持っているその現代刀に対して飛び出してしまうと実にまずいことになる。 
そんなワケないからだ。 
けれど師匠はそれを知らない。その刀が最近打たれたものだということを。 
せめて家紋に気付いてくれ、と祈りながら師匠を横目で見ていると、首を振りながら難しい顔をした。 
(違う) 
そう言っているようだ。 
僕は手の内の刀を一通り鑑賞したあとで鞘に収めた。師匠もそれにならう。 
「これらはすべてご自分で?」 
師匠の問い掛けに倉持氏は頷いた。「ええ。若いころからの道楽で、自分で買い集めたものです」 
期待するような目を向けてくる。 
それから僕らはそれぞれすべての刀剣を抜いた。もちろん一振りだけある太刀も。 
どれも高そうなものばかりだった。しかし新刀、新々刀、現代刀と、どれも時代や体配が異なり、あまり蒐集物にこだわりは感じられない。 
銘が見てみたかったが、とりあえずここは師匠に任せることにする。 
「拝見しました」 



358 : 刀  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2009/10/02(金) 23:28:22 ID:o7OYvvFV0 [18/24回(PC)]
座布団の上に居住まいを正し、依頼人に正対する。 
「ありません」 
きっぱりした口調に倉持氏の顔が強張る。 
「ないと」 
「はい」 
窓ガラス越しに庭の白い砂の照り返しが射し込み、師匠の横顔を照らしている。 
背筋を伸ばして前を見据えるその前髪をわずかに開けた窓から吹いてくる風が揺らす。 
「少なくとも、人を斬り殺したような痕跡は見つかりません。殺された人間の怨念や情念は全く感じない。以前人を刺した包丁を見たことがありますが、何年経ってもそこに残る怨念は消えていませんでした。 
もっとも刀のそれははるかに古いものでしょうから、消えてしまうものなのかも知れませんが。いずれにしても私には見ることができませんでした」 
お役に立てず、残念です。 
師匠は軽く頭を下げた。 
倉持氏はなにかを言おうとして口を開きかけたが、すぐにつぐんだ。あまりにはっきりとした否定に、反論をすべきか迷っているようにも見えた。 
信じたくなかったらそれでいい。別の霊能力者を探して同じことを頼めばいいだけだ。 
ただ、誓ってもいいが、まず自分で霊能力者を名乗るような人間なら、今僕らがなにも感じられなかったこの刀の中の一振りを無責任に指差すに違いない。 
そんなことで満足するならどうぞ御自由に、というところだ。 
「そう、ですか。しかし……そんな……では……」 
師匠の視線から目を逸らし、倉持氏はぼそぼそと歯切れ悪く放心といったていで呟いている。 
見つからなかったからと言って、規定の料金を負けてやるわけにもいかない。その分多少の愚痴はじっと聞いてあげるしかないだろうと覚悟していた。 
しかし依頼人は妙に落ち着かなげな様子をしていたかと思うと、その表情に不穏な翳りが覗き始めた。 
落胆しているのかと思って見ていたが、その目の色に浮かぶものはそれとは少し違うように感じられた。 
なんだろう。師匠も怪訝な顔をしてじっと目の前の和服姿の老人を見つめている。



359 : 刀  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2009/10/02(金) 23:31:23 ID:o7OYvvFV0 [19/24回(PC)]
彼を包むその感情は落胆ではない。絶望? 違う。なんだろう。とても懐かしい感じ。親しみのある感情。 
目を、逸らしたくなるような。 
……恐怖。 
恐怖ではないか。これは。 
そう思った瞬間、寒気に襲われた。 
わああああああん。 
身体が硬直する。 
なんだ今の音は。音? 今僕は音を聞いたのか? 
部屋を見回すが、変わった様子はない。 
しかし、ずうんと重いものが腹の下にやって来たような感覚。 
部屋の中の光量は全く変わらないままで、すべてが暗くなっていく感じ。 
ビリビリと僕の中の古い、人体に今はもうないはずの感覚器がその気配をとらえていく。 
うぶ毛が逆立つ。 
死者の霊魂が。凍てつくような悪意が。 
今、僕らの周りに湧き出てこようとしていた。 
「動くな」 
師匠が短く言った。 
やばい。 
これはやばい。近すぎる。 
まったく心構えができていなかった僕はパニック状態に陥りかけた。 
知らぬ間に広い畳のそこかしこから、人の頭のような形をした真っ黒いなにかがいくつもいくつも生えてきている。 
前を向いたまま動けない僕の首の後ろにも、なにかがいた。無数の気配。吐き気のするような。 
外よりいくぶんかましだった蒸し暑さも、そのまま変質したようにどろりとした濃密な冷たさとなって、部屋の中に充満している。 
僕は自分の霊感が異常に高ぶっているのがどうしようもなく恐ろしかった。相手の正体も分からない。 
倉持氏もその気配に気付いているのか、顔を硬直させたままぶるぶると頬の肉を小刻みに震わせていた。



361 : 刀  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2009/10/02(金) 23:34:41 ID:o7OYvvFV0 [20/24回(PC)]
さっきまで。 
さっきまでなにも感じなかったのに。どうして? 
畳からずるりと出てきた黒い影たちが、浮遊を始める。 
人の形をしている。 
視界の端をかすめたそれは首のあたりが千切れかけ、皮一枚で繋がっているようにぶらぶらと揺れているように見えた。 
黒く塗りつぶされているようで顔かたちなどはまったく分からない。 
ただ、その黒いものが笑っているような気がするのだった。 
いくつもの影が部屋の中を浮遊し、そのどれもが身体の一部が欠けていた。 
心臓が早く脈打ちすぎて止まりそうだ。 
確かに家の中で、変な気配や音、心霊現象のようなことが起こっていると聞いていたのに。 
それを、コレクションの中に人を殺した曰くつきの刀があって欲しいと願う心理が生み出した過剰な錯覚だろうと高をくくってしまっていた。 
どうしたらいい。どうしたらいい。 
視界が暗くなっていく。どろどろと部屋ごと溶けて行くようだ。 
師匠が、動いた。 
それに反応して倉持氏がそばにあった掛台から脇差の一振りを掴み、中腰のまま胸元に引き寄せる。 
怯えた表情だ。周囲を包む異様な空気を察知しているらしい。 
師匠は構わず一歩前に踏み出す。そして倉持氏の目を見据える。 
「戦争に、行きましたね」 
その言葉に老人は目を剥く。 
「北じゃない。……南方ですね」 
師匠はちらりと横目で影を追うような仕草を見せた。 
見えているのか、あの黒い影をもっと詳細に。 
「あなたはそこで、人を斬り殺しましたね。軍刀で」 
口をへの字にして泣きそうな顔をする依頼人に、容赦なく言葉が浴びせられる。 
「斬り口が深すぎる。戦場じゃない。無抵抗の相手に対して振り下ろされた刃ですね」師匠の瞳が大きくなり、左目の下に指が這う。



371 : 刀  ◆oJUBn2VTGE [ウニ猿] 投稿日:2009/10/02(金) 23:52:54 ID:o7OYvvFV0 [21/24回(PC)]
「戦時中のことです。今それを非難するつもりはありません。しかし戦争が終わって新しい生活を送り始めても、あなたにはその凄惨な記憶ががずっと圧し掛かっていた。夜、うなされただろうと思います。死者の恨み、怨念を恐れたはずです。 
日々得体の知れない物音に、気配に、怯えていたでしょう。だから……」 
師匠は立ち並ぶ刀剣に目をやった。 
「勉強会で人を斬ったという刀を見てから、あなたは『上書き』を考えたのです。あるいは無意識に。人を斬り殺した刀が家にあれば、そんな気配や物音も、すべてその刀に憑いているものと思い込めるからです」 
そうか。 
分かった。 
そのために霊能力を雇って来て、そのお墨付きを貰いたかったのか。 
倉持氏はなにも言えずにだだ呼吸だけが荒い。鞘の中で刀がカタカタと鳴っている。 
「今日私はこの家にお邪魔して以来、なんの霊的な気配も感じませんでした。それは刀を見ても同じでした。しかしそんな霊は刀に憑いてはいないという先ほどの返答とともに、どこにもなかったはずのこの霊気が吹き出してきました。 
今まで自分を苦しめた悪霊が、自分ではなく刀に憑いていたものなのかも知れないという期待感によってさっきまでその存在を保留されていたからです。斬った軍刀はここになくとも、死者の一部はあなたの心の中に残っていた。 
それが私の言葉で存在を肯定され、湧き出して来たのです」 
こうなってはもう。 
と師匠は言った。 
「死者の念なのか、あなたの心が生み出したものなのか、区別がつけられない」 
嘲笑が周囲から流れてくるような錯覚があった。気持ちの悪い気配が、薄くなったり濃くなったりしながら周りを漂っている。 
気がつくと鞘の音が止まっていた。 
「なにをいう。なにを……なにを……わかったような……」 
ぼそぼそと口の中で繰り返す倉持氏の目に暗い色が灯っている。その目は師匠を睨み付けていた。
正常と異常の境でわだかまるような目の色だった。 



372 : 刀  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2009/10/02(金) 23:57:00 ID:o7OYvvFV0 [22/24回(PC)]
空気が張り詰める。座ったまま、重心が少しずつ動いていく。そろそろと鞘を腰に押し付けていく。 
居合いをやっている! この老人は。 
無数の針で刺されるような殺気を感じながら、自分の汗が引いていくのが分かる。 
師匠との距離は、間合いだ。 
息が短く、荒くなる。 
左手の親指が鯉口にかかる。 
右手の指が柄の下に隠れる。 
すべての動きが止まる。 
抜く。 
そう思った瞬間、僕は機先を制して手元にあったガラス製の灰皿を指に引っ掛けるようにして、投げつけていた。 
「あっ」 
という声がして、同時に柄の先に硬いものが当たる衝撃音がした。 
老人は左手を押さえ、脇差は鞘に収まったまま畳の上に落ちる。周囲のざわざわした影たちが一瞬で引いていく気配があった。 
「貴様ッ」 
物凄い形相で唸る老人を尻目に、僕は目の前の師匠の肩を抱いた。 
「逃げますよ」 
有無を言わせず抱きかかえるように走り出そうとする。 
師匠はそれに抵抗しようとはしなかったが、ただ一言、老人に向かって短く言い放った。 
「業だ。付き合え。一生」 
そして畳を蹴って部屋を出た。 
出るとき、ぬるん、という嫌な感触があった。自分を包む空気が正常に戻る。 
背後からわめき声が追いかけて来る。正気が疑われる。危険だった。 
廊下を走り抜け、玄関の靴を持ち、履く余裕もなく太陽の下に飛び出てから石畳の道を一目散に駆けた。 
自転車に飛び乗り、師匠の重さが加わるのを確認してからペダルを思い切り踏んだ。 
「あ」 
と背中から師匠の声。 
ギクリとして、それでも自転車をこぎ出しながら「なんです」と訊いた。



373 : 刀 ラスト  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2009/10/03(土) 00:00:05 ID:o7OYvvFV0 [23/24回(PC)]
「金、もらうの忘れた」 
それどころじゃないでしょう。 
そう言い返して、僕は全速力でその立派な家の門から離れ始めたのだった。 

後日。 
小川調査事務所のフロアで僕と師匠は上機嫌の所長と向かい合ってた。 
「倉持さんからお金が入ったよ」 
報告を聞いて諦めていたそうだが、昨日本人がやって来て規定の料金の十倍を超えるお金を置いていったのだという。 
僕と師匠は顔を見合わせた。 
「取り乱して悪かったって。あの時のことは他言無用に願うってさ。そりゃまあこちらには守秘義務ってものがあるからね。もちろん、と答えといたよ」 
口止め料も含まれているわけか。確かにへたをすると殺人未遂だからな。 
思い出していまさらゾッとする。 
「ああ、それからこれ。きみたちにと」 
デスクの下から大きな箱を取り出して来る。桐製の立派な刀箱だった。 
開けると中には目算六十センチ弱の刀剣が一振り入っている。脇差だ。 
「え? これをどうするんですって?」 
動悸が早くなってきた。 
「だから、くれるって」 
凄い。こんな高価なものを。 
ついていた登録証と保存鑑定書を読みながら興奮を抑えられなかった。 
師匠は笑って「もらっとけ」と言った。僕に譲ってくれるらしい。価値が分かっているのだろうか。 
「あと最後に伝えてくれって。……『わかりました』ってさ。なんのことだ」 
師匠はそれを聞いて、嬉しそうな顔をした。ひょっとして脇差を抱える僕よりも。 
その僕は脇差の柄のところに目立つ傷があるのに気が付いた。 
あの時の灰皿か。 
しっかりしてるな。 
倉持氏のいかめしい顔を思い出して、なんだかおかしくなった。