100 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 06:42:33 ID:756IDn+60 [1/3回(PC)]

六月、梅雨空の中久し振りにあの山中へと篭った。 
二週間ちょいの日程で休みを取り、記憶の中のあの場所へと赴く。 

途中で何泊かしながら数年ぶりに辿り着いたその川の辺は、それほど大きく変わる事も無く 
静かな風情を晒しており、俺は僅かな歓びとひり付く様な痛みを覚えた。 

しとしとと降り注ぐ雨に打たれながら手早くテントを張り、 
前室の中で小さめに火を起こして飯を炊き付けてから竹竿を組み立て釣りを始める。 

万が一の時の為にテントから離れ過ぎない様に釣っていたが 
スレていない魚達は次々と針に掛かってくれ、 
尺上の大物を始め良形の岩魚を三十分で十匹ほど釣り上げて 
手早く捌き太目の枝に刺してから白い泡を噴いている飯盒を退かし、 
粗塩をたっぷりと振って岩魚を焼き始めた。 

ケトルに入ったスコッチをチビチビと飲り、少し酔ってきた俺は瞳を閉じ、耳を澄ます。 

静かな山中に、パチパチと燃える流木の弾ける音と 
サラサラと流れる水の音、そして蛙の合唱が響いていたが、 
ふ、と蛙の合唱が止んだ。 

瞬間、俺の心臓がドクン、と大きく鳴った。 

己の身が震えるのを自覚しつつ目を開けると、視界の向こう、川の対岸に白いモノが揺れている。 
俺は早鐘の様に脈打つ心臓を宥めながら、頭は全く動かさず 
視線と焦点だけを対岸に揺れる白いモノへと向けた。 

俺の眼に、薄暗闇の中に鮮やかに浮かぶ白と桃の着物を着た一人の女と、 
その後ろに立つ、髯に埋った顔を持つ逞しげな男の姿が飛び込んでくる。 

俺がのろのろと立ち上がるのを見て、女が妖艶な、だが微かに無邪気な笑みを浮かべた。 
と、男が女を右手に抱え、一足飛びに川を越えて俺の目の前にやって来た。
 
101 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 06:46:22 ID:756IDn+60 [2/3回(PC)]


「久し振りですなあ」 


まるで羆の様な外見に似合わぬのほほんとした声で言いながら、 
男が髯だらけの顔をにかっと綻ばせる。 


「……そう、ですね」 


俺は治まらぬ鼓動を持て余しながら、平静を装って男に応えた。 
と、俺の鼻に甘やかな桃の様な香りが広がり、右手に柔らかく冷たい感触が広がる。 

視線を落とすと、俺の肩に顎を載せる様にした女が、両手で俺の右手を握り締めていた。 
俺は二人をテントの前室に招き入れ、シートの上に胡坐をかくと女が当然の様に膝の上に座る。 

男は地面の上にどかっと座り、腰に付けていた竹筒の栓を開け、俺に差し出した。 
俺も、取り出したマグにスコッチを溢れるほどに注ぎ、男に手渡す。

 
「ほう、良い香りですなあ。洋酒は久し振りじゃ」 


そう言いながらグッと飲み干す男に習う様に、俺も爽やかな竹の香りのする酒をぐい、と口に含んだ。 

どれほどの間、男と酒を酌み交わしていただろうか。 
強かに酔った俺は、膝の上で俺を見詰めている女に視線を向けた。 


「……」 


女も少しだけ、俺の口から酒を飲んでいたので頬が桃色に染まり、 
漆黒の大きな瞳が酔いと、酔い以外の何かで潤んでいる。 

その艶っぽさに、腹の底から湧いてくるマグマの如き熱さを覚え鼓動が速くなってしまう。 
と、女は俺の腰に手を廻し、豊かな乳房を押し付ける様にして抱き付いてきた。 



102 : 終[sage] 投稿日:2009/07/20(月) 06:47:54 ID:756IDn+60 [3/3回(PC)]


「きりょうは出戻りましてなあ」 


男の声に我に返った俺が顔を上げると、男は困った様な顔で苦笑している。 


「結局、旦那とは一度もまぐわいもせずに終わってしまったんですわ」 


「……はあ……」 


俺はなんと応えて良いか解らず、曖昧に反した。 


「わしはちと、用を足してくるんできりょうを頼みます」 


と、男は突然立ち上がりそう言うと、全く酔いなど見せずにひょい、と対岸へ飛び移る。 


「え……?頼む、って……?」 


俺が呆けた声を上げるの聞いて、 


「朝に迎戻ります」 


男は振り返りもせずに応え、闇の中に融けて行ってしまった。 

翌朝、俺が目を覚ますと一緒に眠った筈のきりょうの姿は消えていた。 


「夢……だった、のか?」 


俺が少し痛む頭を数回振りながら上半身を起こし、時計を見ると午前五時前。 
だが、昨夜のきりょうの熱い肌とぬめりはハッキリと覚えている…… 


「ん……痛ぅ」 


と、右肩の辺りに小さな痛みを覚え、ふとみて見るとそこに小さな歯型が付いている。 
”また、秋に、来て……” 
俺の耳に、眠りに落ちる直前にきりょうが呟いた言葉が蘇った。 


「秋、か……」 


俺は投げ出すように体を横たえながら、小さく呟いた。